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高校2年生になり、1年生の部活勧誘が盛んな春。いつものように夕食を囲んでいた時だった。
息子が、箸を止めてボソッと言った。
「あのさ……もう一度、サッカーやっていいかな」
時が止まった気がした。妻がハッとして顔を上げ、息子を見つめる。
「やりたい」ではなく、「やっていいかな」
そこには、中2のあの日、親に心配をかけ、逃げるように辞めてしまったことへの罪悪感と、それでも抑えきれない情熱が滲んでいた。
「いいに決まってるじゃない!」
妻の声が裏返った。その目には、もう涙が溜まっていた。
しかし、問題は「学校のルール」だった。 彼が通う進学校では、原則として運動部の兼部は認められていない。しかも今の彼はテニス部の主力のようだ。 「どっちか選べ」と言われるのがオチだろう。私たちは覚悟していた。
だが、ここで奇跡が起きる。 今年から、サッカー部とテニス部の活動日がきれいにズレて、物理的に両立可能なスケジュールになっていたのだ。
さらに、「お前なら、両方やれる」と、テニス部のキャプテンとサッカー部のキャプテンが動いてくれ、顧問の先生たちが特例を認めてくれた。
「彼なら大丈夫だろう」。そう周囲に認めさせたのは、かつて理不尽な指導者に全人格を否定され続けた息子自身の、実力と人間性だった。
こうして、テニス・サッカー・勉強という前代未聞の「三刀流」生活が始まった。 平日も休日も休みなし。部活と勉強との両立は過酷そのものだ。 それでも、息子の顔は、あの暗黒時代とは比べ物にならないほど晴れやかだった。
***
「ほら、お父さん! 何してるの、早く車出してよ!」
土曜日の朝7時。 冒頭のシーンに戻る。妻は今、助手席で今日の対戦相手の高校を調べている。
「今日の相手、T4(都リーグ)にいるから結構強いわよね。でもあの子なら抜けるわよね」
ウキウキしたその横顔を見て、私は確信する。 私たちの「サッカー子育て」は、失敗じゃなかった。回り道をしたけれど、とびきり素敵な景色が見える場所にたどり着いたんだ。
車は朝の光の中へ滑り出す。
向かう先は、Jリーグのスタジアムでも、選手権予選の会場でもない。息子の通う高校のデコボコの土のグラウンドだ。
でも、そこには「自由」がある。
誰にも怒鳴られず、誰の顔色も伺わず、テニスで鍛えたステップと、フットサル場で取り戻した遊び心を武器に、息子は今日、誰よりも自由にピッチを駆けるだろう。
私たちは、世界で一番早い観客として、その姿を目に焼き付けに行くのだ。
編集後記
日々流れてくる、スポーツ界のハラスメント問題。この流れを少しでも止めたい、そして「理不尽に追い出されても、未来が閉ざされたわけではない」ということを伝えたくて、この連載を書き始めました。
多少の設定変更は加えていますが、ここに書かれた出来事は、まぎれもなく我が家が体験した事実です。
このメディアでも人気記事となっているように、私たちはどうしてもチームの戦績やランキングといった、サッカーの華やかな「光」の部分に目が向きがちです。正直に言えば、当時の私自身もそうでした。
「どれだけ強いか」
「何人プロが出たか」
「OBの進路はどうか」
そうした“分かりやすい光”ばかりを見ていて、「入団した30人が、卒団時に何人残っているのか」という視点は、これっぽっちも持っていませんでした。
もしあの時、半分以上が途中で辞めていくという事実(データ)を知っていたら、違う選択ができたかもしれない。綺麗事だけでは、子どもを守れない。それを、私たちは身をもって知りました。
だからこそ、このメディアでは、勝利や栄光といった「光」だけでなく、その裏側に潜む理不尽な指導や、声が上げにくい構造といった「闇」の部分も、しっかりと書き残していきたいと思っています。
これからチームを選ぶ親子が、足元の落とし穴に気づけるように。光も闇もすべて知ったうえで、納得のいく選択ができるように。それが、あの日の私たちが一番欲しかった情報だからです。
もし今、そんな「歪んだ理不尽」の中で苦しんでいる親御さんがいるなら、心から伝えたいことがあります。
どうか、子どもを守ってあげてください。
「せっかく入ったチームだから」
「高校の推薦があるから」
「今辞めたら逃げ癖がつくから」
そんな大人の事情や世間体で、判断を曇らせないでください。その場から離れることは、決して「負け」ではありません。大切な我が子を守るための、親にしかできない「勇気ある撤退」です。
誤解のないように言っておきますが、私はスポーツにおける「厳しさ」や「競争」を否定するつもりはありません。
しかし、「厳しさ」と「理不尽な暴力」は明確に違います。
「理不尽から子供を守ること」は、「甘やかすこと」とは違います。
どうか、その境界線を見誤らないでください。
一方で、「それでも、うちにはサッカーしかない」そう感じている家庭があることも、私は分かっています。
だから私は、「辞めるべきだ」と言いたいわけではありません。
移籍という選択。カテゴリーを下げるという判断。中学の部活に切り替えるという道。一度、距離を置くという考え方。
そうした選択肢があることを、心が完全に折れてしまう前に、頭の片隅に置いておいてほしいのです。
私たちはつい、「プロになること」「強豪高校に進学すること」をゴールのすべてだと思い込んでしまいがちです。
でも、0.3%の狭き門をくぐり抜けることだけが、サッカーにおける「勝利」なのでしょうか。
たとえプロになれなくても、週末のフットサルや社会人リーグで、大人になっても「サッカー最高だな!」とビールを飲みながら笑い合える人生。それもまた、間違いなく一つの「勝利」だと思います。
サッカーは、子どもたちを苦しめる鎖ではありません。人生を豊かに彩る、最高の「遊び」であるはずです。
道は一つではありません。一度ラケットに持ち替えても、ペンを持っても、本当に好きなら、いつかまた必ずボールと巡り合えます。
そして今後、このメディアでは、クラブからクラブへの移籍の実情や、部活サッカーという環境、途中から進路を切り替え家庭のケースなどについても、リサーチを重ね、コラムとして整理していきたいと考えています。
この連載が、過去の記録で終わるのではなく、これから悩む誰かにとっての現実的な判断材料につながっていくことを願って。
その時、お子さんが「楽しい」と笑ってくれたなら。それだけで、私たちの「サッカー子育て」は大成功なのだと思います。
(サカリサ管理人)

