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ソルジャーFCを辞めた翌月、私は久しぶりに古巣を訪ねた。小学生時代に所属していたテクニックFCの監督への報告だ。
「チームを辞めました。というか、もうサッカーはしたくないそうです」
私が経緯を話すと、普段は温厚な監督の顔がみるみる赤くなった。
「あいつか……!」
監督同士は古い知り合いらしい。
「ソルジャーFCに決めたと言うから話せなかったけど、あのチームにはそういう話があったんだよ。強引にでも止めておけばよかったな……本当に申し訳ない」
謝る必要などないのに謝罪してくれ、自分のことのように悔しがってくれた。そして「もし、まだサッカーを嫌いになっていないなら」と、その場で電話を取り出した。
相手は、関東大学リーグに参加している名門大学のコーチで、大学関連のクラブのサポートもしているらしい。特別に設定してもらった練習会に参加してみると、息子の技術は錆びついていなかった。1つ上の学年に混じっても持ち前のテクニックは健在で、久しぶりにボールを蹴る息子の顔に笑みが戻っていた。先方にも「大学まで見据えて、今からでも入部してほしい」と言ってもらえた。
しかし、帰りの電車で息子が呟いた。
「……遠いな。あとコーチの顔がちょっと怖い(笑)」
片道1時間半。そして何より、大人の男性の指導者に対する恐怖心という、まだ癒えていない傷。
「今は、無理しなくていい」
私の言葉に、息子は少しホッとしたように頷いた。私たちは丁重に断った。中学の部活にも入らなかった。
こうして、私たち家族の生活から「サッカー」は完全に消えた。
***
一番重症だったのは、妻だった。
テレビでサッカーのニュースが流れると「チャンネル変えて」と顔を背けた。画面の向こうで走る同年代の選手を見ると、理不尽に奪われた息子の時間を思い出してしまうからだ。
けれど私は知っていた。妻がたまに一人、深夜のリビングでタブレットを見つめていることを。映っているのは、ジダンやアンリ、ベルカンプ。ゴレツカ、クロース、デ・ブライネ。息子のポジションで見本にしていた選手たちのプレー集だ。
私が切り取った息子のプレーは直視できない。でも、かつて一緒に「ここが凄いね」と目を輝かせて見ていた動画なら見られる。あの輝いていた季節の記憶だけは、手放したくない。そんな彼女なりの、切ない抵抗だった。
一方で息子は、淡々としていた。勉強の合間の息抜きに手に取るのはスマホ。サッカーゲームだ。「現実のサッカーはもういい」と言いながら、指先はまだピッチの上を求めていた。
しかし、そのエネルギーはすべてペンとノートに向かった。中3になると、彼は狂ったように勉強を始めた。
「サッカー推薦だとその先わからないじゃん。実力で行きたい高校に行く」
理不尽な大人に人生を左右されるのはもう御免だ、という怒りが原動力だったのかもしれない。成績は垂直に上昇した。体育以外は大半が「3」だった通知表が、またたく間に「4」と「5」に変わっていく。塾の自習室に籠もり、サッカーで培った体力と集中力で難問を解いていく。
そして春。彼は見事、都内トップクラスの進学校の合格を勝ち取った。
***
「部活、どうするんだ?」
高校入学の夜、恐る恐る聞いてみた。
「テニス部にしようかな」
サッカー部は、とは聞けなかった。まだサッカーと正面から向き合うのが怖いのかもしれない。私たちはその選択を尊重した。
面白いことに、そのテニス部には「類友」が集まっていた。中学時代にクラブチームで燃え尽きたり、怪我で挫折したりした「元サッカー小僧」たちが何人もいたのだ。
ある晴れた土曜日。部活終わりに彼らが向かったのは、学校近くのデパートの屋上にあるフットサル場だった。テニス部の練習着のままボールを蹴る。ラインを割っても気にしない。審判もいない。怒鳴る監督もいない。
「お前、へたくそだなー!」
「うるせーよ!」
「エラシコできんのかよ!?」
「チャリーン(股抜き)」
響くのは罵声ではなく、笑い声だけだ。
人工芝の上を駆け回りながら、息子は思い出していたのだろう。初めてリフティングが10回できた夜のことを。「剥がすまでパス禁止」と言われてニヤニヤしていたあの頃を。
凍りついていた何かが、屋上のフットサルコートから見上げた空の下で、静かに溶けていった。
季節は、新入生の部活勧誘が盛んな高校2年生になる春。帰宅した息子が、リビングで唐突に言った。
「サッカー部、入っていいかな…」

