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その日は、突き刺すような冬の寒空だった。中学2年の1月、ある練習試合でのことだ。 キックオフ直後から、O監督の怒声がグラウンドに響き渡っていた。
「おい! 違うだろ!」
「てめぇ、ふざけんな!」
「俺をなめてんのか!」
その矛先は、ボランチに入っていた息子に集中していた。 車の中で戦況を見つめていた私には、彼が何を怒っているのか、そして息子がなぜ混乱しているのかがすぐに分かった。
息子はその週、学校行事のために平日の練習を欠席していた。 監督が怒鳴っているのは、その「息子がいなかった日」にチームで共有した動きについてだった。
「忘れてんのかてめぇ」
「昨日やっただろ!」
「言うこと聞けねぇのか、いい加減にしろ!」
怒鳴られても、息子は場にいなかったのだから知るよしもない。指導者なら、一度ベンチに下げて説明すれば済む話だ。しかし、監督のOはそれをしない。ただひたすら、ピッチ上の息子に向けて「できないこと」を罵り続ける。
私には、指導というより、学校行事で練習を休んだ罰として見せしめに近い叱責、思い通りに動かない選手への、感情的な八つ当たりに見えた。
ハーフタイムのホイッスルが鳴っても、怒りは収まらない。彼はピッチに入り込み、さらにボリュームを上げて喚き散らした。もはや恫喝だった。
息子は唇を噛み締め、無言で耐えていた。反論すれば火に油を注ぐことになると知っていたから。チームメイトも誰もフォローしない。フォローすれば火の粉が自分にも降りかかることを知っているから。
(今すぐ試合を止めて、息子を連れ帰りたい……)
その後、彼は数十分にわたり罰走させられ、その日はもう試合に出ることはなかった。
***
試合後の車内。 少し前までは「あそこは惜しかったな」「あれうまかったなー」などと、内容は取るに足らないこともあるが、私にとっては親子の会話ができる心満たされる時間だった。しかしその日は、重苦しい沈黙が支配していた。
ふと助手席を見ると、息子が下を向いたまま、小刻みに震えていた。 寒さのせいではない。それは、行き場のない怒りと、恐怖と、絶望が混ざり合った、魂の震えだった。
限界だ。 親としての直感が、警告音を鳴らしていた。これ以上ここにいたら、息子の心は二度と戻らない場所に壊されてしまう。
私はハンドルを握ったまま、静かに聞いた。
「……辞めるか?」
息子は顔を上げなかった。 数秒の沈黙の後、震える声で答えた。目からは涙がとめどなくあふれていた。
「うん。……もう、無理。もうサッカーはいい…。」
「分かった。辞めよう」
私の返答は短かった。引き止める理由は、もう何一つ残っていなかった。
***
その夜、私は最後の仁義を通すために、かつての担当コーチであり、今はジュニアチームの監督をしているAコーチに電話を入れた。彼なら話が通じると思ったからだ。 そして何より、息子が懸念していた「残されるチームメイトたちの現状」を伝えるためでもあった。
辞めると決めた息子の口から堰を切ったように出てきた話は、耳を疑うことばかりだった。それは、育成現場の「あるある」で済ませてはいけない、明らかな虐待行為・ハラスメントだった。
- 理不尽な置き去り: 遠征の集合時間にギリギリについただけで、その選手をバスに乗せず走り去る。「甘えをなくす」という名目で、ひとり電車で現地まで来させる懲罰。
- 私的な従属関係: 遠征バスの中や宿舎で、特定の選手に監督の身の回りの世話を強要する。肩もみやコンビニへのパシリは日常茶飯事。
- 飼い殺しという制裁: スタメンであっても、一度でも口答えしたり、親が運営について意見したりした選手は、見せしめのように数週間ベンチ外にする。
- 容姿への執拗な攻撃: プレーへの指摘ではなく、「チビ」「デブ」「ハゲ」「顔が気持ち悪い」と、人格と尊厳を傷つける言葉を皆の前で浴びせ、笑いものにする。
- 怪我の強要(根性論): 肉離れや捻挫をしていても「痛いのは我慢できるだろう」「サボるな」とプレーを強要し、休めば「裏切り者」扱いをして居場所をなくす。
- ハラスメントの連鎖: 先輩が後輩の服を脱がせたり、下半身を露出させるような悪ふざけをしていても、大人である監督は注意するどころか一緒になって面白がり、煽る。
- 親への侮辱: 選手が集まっているミーティングで、「お前の親うぜーな」「過保護なマザコン野郎だな」と、子供にとって絶対的な存在である親を否定し、精神的に孤立させる。
- 学校より勉強よりチーム: 学校の行事(運動会や合唱コンなど)とチームの予定が重なっても、基本的にはチームの予定優先。定期テスト前どころか定期テスト中でも、勉強を理由に練習を休むことは許可されない。
- 進路を盾にした圧力: これらすべてに対して沈黙を貫かせるために、「学校の内申が悪くても、俺が言えば強豪高校入れる」など、「逆らえば進路に影響が出るかもしれない」と受け取らざるを得ない言動が繰り返されていた。
今日の試合での常軌を逸した罵倒、トレセンへの妨害、そしてこれらのチームメイトへのハラスメントの実態。すべてを洗いざらいぶちまけた。
「……申し訳ありません」
Aコーチの声は重かった。
「事実確認をさせてください。もしそれが本当なら、監督として、人としてあるまじき行為です。私が責任を持って説得し、彼を監督の座から降ろします。そうすれば、残ってくれる可能性はありますか?」
一筋の光が見えた気がした。チームの腐敗は進んでいるが、まだ自浄作用が残っているのかもしれない。 翌日、Aコーチは約束通り動いてくれた。他のスタッフや選手に聞き取りを行い、「事実は黒である」と認定したようだった。
そして、「監督は辞任させる」「本人から謝罪させる」「だから退会しないでほしい」という提案をもらった。そこまで動いてもらった手前、すぐに退会届を叩きつけるわけにもいかず、ひとまず翌日の練習試合には息子を向かわせた。
アップの前、グラウンドに集められた選手と保護者の前で、O監督が口を開いた。
「えー、私は、今日をもってU-15の監督を降ります。今後はAコーチに任せます」
おお、とどよめきが起きる。本当に責任を取ったのか?しかし、続く言葉を聞いた瞬間、私の中の何かが完全に冷え切った。
「明日からは、『総監督』としてチーム全体を見ることになりました」
は? 私は我が耳を疑った。隣にいたAコーチも目を丸くしている。彼も聞いていなかったのだろう。 監督を辞めて、総監督? 出世しているじゃないか。ただ看板を架け替えただけ。現場での支配権は何ひとつ手放していない。
事実、その日の練習試合でも、彼はベンチに居座り、相変わらず叫んでいた。
さらに許せなかったのは、その態度だ。 彼は説明の間中、被害者である息子のほうを一度も見なかった。謝罪の言葉ひとつない。それどころか、「うるさい親のせいで俺は面倒な対応をさせられているんだ」と言わんばかりの、ふてぶてしい態度。
(ああ、ここはもうダメだ)
腐っている。根元まで完全に。Aコーチの必死の奔走も、この化け物のような監督の前では無力だったのだ。こんな茶番劇を見せられて、これ以上息子を預けられるわけがない。
私は息子の肩を抱いて、グラウンドを背にした。 後ろ髪を引かれる思いは微塵もなかった。
ただ、今となって本当に悔やまれることが一つだけある。あの日の怒声、あの恫喝、あの理不尽な指示の数々。それらを決定的な「証拠」として記録していなかったことだ。
トップチームとなり監督がOに代わり、怒声や罵声がひどくなってきて頃から、見返すビデオにその声が入っているのが辛く、私は車の中から窓を閉めて試合を見るようになっていた。試合を見ることに必死で、肝心なハラスメントの瞬間は記録として残っていない。
「言った、言わない」で逃げ切られる悔しさを噛み締めながら、私たちはソルジャーFCとの絶縁を選んだ。
こうして、息子のジュニアユース生活は、中2の冬という中途半端な時期に、最悪の形で幕を閉じた。

