第3章 ── コーチが消え、監督が来た

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Aコーチが去った後のグラウンドに現れたのは、まだあどけなさの残る二人の青年だった。どちらもチームのOB。一人は大学生コーチのB、もう一人は本職はキーパーコーチのCだ。

「若くて話しやすい兄ちゃん」という最初の印象は、瞬く間に剥がれ落ちた。

まず、大学生コーチBがわずか2か月で姿を消した。彼は選手たちの前で、自分たちが仕えるはずの監督への不満を隠そうともしなかった。

「あいつ(監督)は最近のサッカーをわかってない」
「どうせ最後は『蹴れ』『戦え』になるから、今教えてることも意味なくなる」
「まともな人はあいつと合わないから。実態わかってるOB以外、コーチは続かないよ」

そう吐き捨てていた彼は、ある日突然来なくなった。辞めた理由すら説明されなかった。無責任な大人の背中を、子供たちは冷めた目で見送った。

残されたキーパーコーチCも深刻だった。教科書通りのビルドアップを導入しようとしているのだが、指示が結果論ばかりで具体性がない。

「そこじゃないだろ!」
「何回ミスるんだ!」
「ちゃんとつなげよ!」

「どこに出すべきか」という言葉は、ついぞ聞こえてこなかった。Aコーチの時代は関東リーグのチームと対等に戦えていたのに、コーチが代わった途端、格下相手でも失点が増え、得点が減っていった。

だが、無能であることより深刻だったのは、その歪んだ人間性だ。

ある日、チーム内で奇妙な噂が流れ始めた。

「あいつ、Cコーチから新しいスパイクもらったらしいよ」

特定の数人への、あからさまな依怙贔屓が始まったのだ。練習のない日に遊びに行き、夜な夜な長電話をし、食事を奢る。大半のメンバーが電車で試合会場に向かう中、自分の車で送迎する。コーチと選手という境界線を越えた、気色の悪い距離感。当然、試合では「お気に入り」たちが重用された。

息子はそういう空気を嫌い、自然と距離を置いた。

ある日、息子が「メンタルブレイクって何?」と聞いてきた。どこで覚えたのかと尋ねると、Cコーチからの言葉だという。

「お前は可愛くないな。……メンタルブレイクさせられないからなー」

耳を疑った。選手を精神的に追い込んで泣かせた様子を、他のチームメイトに吹聴もしていた。

腐敗臭が、隠しきれないほど漂い始めていた。

***

息子を含む数人が、地区のトレセンに選ばれ続けていた。本来ならチームにとっても悪い話ではないはずだが、ソルジャーFCの論理は違った。

「今週末、練習試合が入ったからトレセンは休め」

Cコーチ、そしてその背後にいるO監督からの指示だ。しかも県トレセンの選考会も兼ねていると連絡が来ているのに、だ。

「練習試合に来ないなら、スタメンはないかもしれない」と匂わせ、「自分でトレセンコーチに連絡しろ」と突き放す。

「休む理由はどう伝えればいいですか? 『チームの練習試合がある』と言えばいいですか?」

息子たちがそう聞くと、彼らは平然と言い放った。

「練習試合だとは言うな。『家庭の事情』とか適当に言っとけ」

子供に嘘をつくことを強要する。息子の目の中に、少しずつよどみが溜まっていくのを私は感じていた。それでも息子は、チームメイトとの絆とサッカーへの愛情だけで、なんとか踏みとどまっていた。

そして迎えた試合当日、皮肉な現実が待っていた。対戦相手のアップを見ていると、主力が数名いない。いつもトレセンで切磋琢磨していた選手が見当たらないのだ。

「あれ、10番いないね」

息子がマークについた相手選手に呟くと、事もなげに返ってきた。

「ああ、あいつらは今日トレセンの日だから。そっちに行ってるよ」

相手チームは当たり前のように選手の成長を優先し、快く送り出している。こちらは「家庭の事情」という嘘をつかされてまで、主力不在の消化試合に縛り付けられている。

息子にとって、その差は言葉以上の絶望として深く刺さった。

***

さらに追い打ちをかけるように、息子の体も限界を迎えていた。

実力を買われてU-14だけでなくU-15の試合にもスタメンで呼ばれるようになり、平日も週末も両カテゴリーの練習と試合にフル稼働する日々が続いた。「午前はU-14で練習、午後はU-15の試合」なんて日も珍しくなく、カテゴリー間で連携が取れているわけでもない。気づけばオフは消え、週7日サッカー漬けになっていた。

当時の私は「コーチたちが期待してくれているんだから」と、その異常性に気づくことすらできなかった。息子は、ただの便利なコマとして消費されていたのだ。

膝は慢性的に痛みを抱え、腰椎分離症にもなった。医師からは「しっかり休んで」と言われたが、チームは長期離脱を許さなかった。

「痛くても走れるだろ」「お前が抜けると困るんだよ」

痛みを抱えたまま、練習と試合が続いた。

***

中学2年の冬。ついにラスボスが動き出した。

「来年からは、俺が直接指揮を執る」

チームの全権を握るO監督の宣言に、グラウンドが凍りついた。それまでのコーチたちとは格の違う威圧感と怒声。そして絶対的な独裁体制。

掲げた戦術は明快だった。

「俺のサッカーは、勝つためのサッカーだ」

後ろから蹴り、フィジカルの強い選手を走らせる縦ポン一辺倒。練習内容もガラッと変わった。フィジカル、走力、球際の奪い合い、競り合い。週末の練習試合には必ず大型のタッパー弁当を持参させられ、ごはんの量もチェックされた。少なければコンビニへ買いに行かされ、すべて食べ切るまで試合に出してもらえない。

足が速くフィジカルもある息子は、対戦相手に合わせてトップ、ボランチ、センターバックと使い回されたが、その役割は悲惨だった。センターバックに入れば裏へ蹴るだけ。トップに入りボールを受けてターンしようとすると「余計なことするな」と怒鳴られる。ボランチに入れば、頭上を越えていくボールを見上げながら前後にシャトルランを続けるだけ。かつて磨いたドリブルも、アイデアのあるパスも、ここでは「ノイズ」として封印された。

「……つまんない」

帰りの車で、息子がポツリと漏らす回数が増えた。

「できねーやつは来なくていい。帰れ」
「口答えすんな。しばくぞ」
「使えねーな。いらねーよお前」

公式戦ともなれば、矛先は選手だけにとどまらなかった。試合の最中、判定が気に食わなければ審判を怒鳴りつけ、相手チームのベンチにまで罵声を飛ばす。観客席がざわつき、相手の保護者が顔を見合わせる。そんな場面を、私は何度も目にした。指導ではなく、恐怖による統制。それはピッチの内側だけの話ではなかった。

家の中にも変化が出ていた。かつて明るかった息子が、常にだるそうにリビングで横になっている。些細なことでイライラし、家族やモノに当たる。「眠れない」と、深夜にベッドの上で座り込んでいる日もあった。そして何より胸が痛んだのは、テレビや街中で男性の怒鳴り声が聞こえると、反射的に体を強張らせるようになっていたことだ。

心は、すでに悲鳴を上げていた。

そして中学2年の1月。息子の心の糸が「プツン」と切れる日がやってくる。

この連載は、実体験をもとにした記録です。特定の個人・団体を指すものではなく、同様の状況で悩む方の判断材料として公開しています。※人物名・団体名・一部の設定や表現を変更・脚色しています。

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この記事を書いた人

教員免許(中高保健体育)を持つ40代の元サッカー指導者。自身もトレセンにひっかかるくらいには経験があり、大学ではサッカーの試合における”流れ”をテーマに研究。息子がジュニアユースでプレーしたことをきっかけに、首都圏のJ下部・街クラブ・中高サッカーを徹底調査。その備忘録として本メディアを開設。