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時計の針は21時を回っている。リビングの床には防音マットが敷かれ、「ドス、ドス、ドス」という鈍い音が一定のリズムを刻んでいた。
「もう遅いぞ。近所迷惑になるから終わりにしろ」
私がそう声をかけると、当時小学1年生だった息子は、真っ赤な顔をして振り返った。ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちている。
「できない……っ! なんでできないんだよぉ!」
手には、少し空気を抜いた4号球。リフティングだ。近所のチームに入ったばかりの彼にとって、ボールはまだいうことを聞かない暴れ馬だった。何度蹴り上げても、あさっての方向へ飛んでいく。それでも彼は止めなかった。
「あと一回! あと一回だけ!」
泣きながらボールを蹴り続ける小さな背中。私はそれを見て、直感した。
(ああ、こいつは上手くなるかもしれない)
技術の入り口にあるのは才能じゃない。この「悔しがれる才能」だ、と、かつてサッカー小僧だった私は思った。
それから数か月後。「お父さん、見て! 俺すごくない!?」と誇らしげに披露されたリフティングは10回を超え、やがて100回を超えた。チョンチョンとつま先で突くタッチ、まっすぐ上がるインステップ、インサイドとアウトサイドを器用に使い分けながらボールを操る。部屋中に並べたマーカー間を縫うようにドリブルし、ネイマールやロナウジーニョの足技を見よう見まねで試す毎日。リビングの床と壁は傷だらけになったが、それは我が家の勲章だった。
***
小学校中学年に差し掛かる頃、私たち親子はひとつの選択をした。チームの移籍だ。
最終候補は二つ。規律と組織を重んじる「FCチームズ」と、個人技にとことんこだわる「テクニックFC」。実績で言えばFCチームズが優勢だったが、体験練習のあと「どっちがいい?」と聞いた私に、息子は即答した。
「テクニックFC! だって、ずっとドリブルしてていいんだもん」
私にも計算はあった。FCチームズへ行けばスタメンを狙えるし、体験練習後すぐに「ぜひ入ってほしい」とも言われていた。U12はTリーグ所属だからスカウトの目にも留まりやすい。ただ、プロになれる保証などどこにもない。それよりも「ボール一つで遊べる技術」の方が、長い人生をずっと豊かにしてくれる。
そうして私たちは、目先の勝利より「個の技術」を選んだ。
***
テクニックFCでの日々は充実していた。ベンチから飛ぶコーチの指示は徹底していた。
「パス禁止! 取られるまで仕掛けろ!」
「フィジカルで突破すんな! 遊べよ!」
「はがせ! 逆とれ!」
相手チームの保護者が「パス出せばいいのに……」とざわつく中、息子たちはニヤニヤしながら、囲まれても強引にドリブルを仕掛けた。
地域のトレセン選考では、当然評価されない。
「君、そこでシンプルにハタけないとダメだよ」
選考官にそう言われても、息子は天邪鬼に股抜きを狙い、そして落選した。合格者だけが残るコートから苦笑いして帰ってきた息子に「残念だったな…」と言いながら、私は心の中でガッツポーズをしていた。
(いいぞ。型にはまるな。そのままでいい)
毎週末ビデオを回し、夜は缶ビールを開けながら編集する。画面の中で息子がディフェンスをひとり、またひとりと抜き去っていく。思わずニヤける。誰も見ていないのに「うまいなー」と声に出してしまう。妻に見られたら気持ち悪いと言われそうな時間が、どこまでも続くと思っていた。
だが私たちは知らなかった。ここで培った「自由」が、次の環境では「悪」と見なされることを。
息子が中学に上がる春。私たちは、ソルジャーFCの門を叩いてしまう。

